とは言ってもこの日記ではなく、
ふたりでつけている方の日記の話。
いつの間にやらもう245日目。
あと120日しかないのかー。4ヶ月だなぁー。
と考えるとすごくしんみり?
しんみりなのか?
年末にゼ○シィをふたりで読んだ時に買ったノートも
日々私の文言が増えていくという設定なので
これもちょっとした交換日記になるのかもしれない。
まあ、いずれにせよ記録として残るのはよきこと、よきこと。
さて。
これの今日の質問が
「世界でいちばん幸せ」と思うのは、どんなとき?
でした。
2・3日前からその質問の存在には気付いていて、
日々過ごしていく中で色々と考えていた。
今日、改めて白紙の質問文と向き合ってみたけれど、
私にはやっぱり書けなかった。
ゴタゴタしている色々が落ち着かないと、私にはこれは書けない。
付箋に「ごめん、ちょっと保留にさせて。」と書いて
貼っておきました。
明日、あの人はこれを見てどんな反応をするんだろう。
そして、この日記帳が終わるまでに、
私の「世界でいちばん幸せなこと」が見つかるのだろうか。
「見つけなきゃ!見つけなきゃ!」と思って探すのは嫌だ。
ふと考えた時に
「ああ、私幸せかも」と思わなきゃダメなんだ。絶対に。
でもそれはひょっとしたら、来年のことなのかもしれないしなぁ。
今年中、むしろあと4ヶ月でそんな展開になるかなぁ。
そりゃあ勿論こちらとしてもそうなってほしいのは山々だが、
それにはやっぱり私の努力が必要なんだ。やっぱりな。
ああもうやだ。
ホントにやだ。
でも逃げるわけにはいかない。
私がやらなきゃいけないこと。
…先日母から言われたことに
まだ深く傷つく反面、
書き出してみて気付いたこともある。
ここのところ、暇なのでネットで色々読み漁っていて
分かったこともあります。
私がどうなったら、喜んでくれる?
例えば、今の道を選んだとして
私が不幸になったらきっと母は
やっぱりな、と思うのであろう。
あの時にちゃんと確認したのに…と。
母が考えていることは、瑣末なことなのか。
それとも自分の考えが甘いだけなのか。
…まあ、甘いのは確かなんだろうなあ。
もっと「覚悟」が必要なんだろう。
という訳で更に幸せについての定義を見失いかけているのでした。
なんだろ?幸せって。
以前、あの人に幸せについての定義を聞いたことがありますが、
「日常の中に転がっているものじゃないかな?」と言っていました。
2人で一緒に作ったごはんを食べたり、
寝起きに私が隣にいることがあの人にはとても幸せな事のようだ。
んー…。
自分の中で、どうしたら「幸せ」かが見えてこなくて。
2年前の今頃は常にふわふわで、
何があっても幸せだった、ように思う。
ささいな事でとっても喜んで、とてもとても嬉しくてしょうがなかった。
あの人といられることを幸せに思ったし、
逢える前の日は真剣にドキドキしていたし、
真剣にあの人と向かい合っていた。
…もっとも、真剣に向かい合いすぎていてデートの後に疲れていたんだろうけど。
そうか、そうだったんだなぁ…。
あの頃の自分に戻りたい、とは思わないけれど
あの頃のようなときめきは
もう私には来ないのかな…
何だこの倦怠期風味は(笑)
とりあえず明日は逢瀬だー!
…とはいえ引越しの手伝いだが…。
ふたりでつけている方の日記の話。
いつの間にやらもう245日目。
あと120日しかないのかー。4ヶ月だなぁー。
と考えるとすごくしんみり?
しんみりなのか?
年末にゼ○シィをふたりで読んだ時に買ったノートも
日々私の文言が増えていくという設定なので
これもちょっとした交換日記になるのかもしれない。
まあ、いずれにせよ記録として残るのはよきこと、よきこと。
さて。
これの今日の質問が
「世界でいちばん幸せ」と思うのは、どんなとき?
でした。
2・3日前からその質問の存在には気付いていて、
日々過ごしていく中で色々と考えていた。
今日、改めて白紙の質問文と向き合ってみたけれど、
私にはやっぱり書けなかった。
ゴタゴタしている色々が落ち着かないと、私にはこれは書けない。
付箋に「ごめん、ちょっと保留にさせて。」と書いて
貼っておきました。
明日、あの人はこれを見てどんな反応をするんだろう。
そして、この日記帳が終わるまでに、
私の「世界でいちばん幸せなこと」が見つかるのだろうか。
「見つけなきゃ!見つけなきゃ!」と思って探すのは嫌だ。
ふと考えた時に
「ああ、私幸せかも」と思わなきゃダメなんだ。絶対に。
でもそれはひょっとしたら、来年のことなのかもしれないしなぁ。
今年中、むしろあと4ヶ月でそんな展開になるかなぁ。
そりゃあ勿論こちらとしてもそうなってほしいのは山々だが、
それにはやっぱり私の努力が必要なんだ。やっぱりな。
ああもうやだ。
ホントにやだ。
でも逃げるわけにはいかない。
私がやらなきゃいけないこと。
…先日母から言われたことに
まだ深く傷つく反面、
書き出してみて気付いたこともある。
ここのところ、暇なのでネットで色々読み漁っていて
分かったこともあります。
私がどうなったら、喜んでくれる?
例えば、今の道を選んだとして
私が不幸になったらきっと母は
やっぱりな、と思うのであろう。
あの時にちゃんと確認したのに…と。
母が考えていることは、瑣末なことなのか。
それとも自分の考えが甘いだけなのか。
…まあ、甘いのは確かなんだろうなあ。
もっと「覚悟」が必要なんだろう。
という訳で更に幸せについての定義を見失いかけているのでした。
なんだろ?幸せって。
以前、あの人に幸せについての定義を聞いたことがありますが、
「日常の中に転がっているものじゃないかな?」と言っていました。
2人で一緒に作ったごはんを食べたり、
寝起きに私が隣にいることがあの人にはとても幸せな事のようだ。
んー…。
自分の中で、どうしたら「幸せ」かが見えてこなくて。
2年前の今頃は常にふわふわで、
何があっても幸せだった、ように思う。
ささいな事でとっても喜んで、とてもとても嬉しくてしょうがなかった。
あの人といられることを幸せに思ったし、
逢える前の日は真剣にドキドキしていたし、
真剣にあの人と向かい合っていた。
…もっとも、真剣に向かい合いすぎていてデートの後に疲れていたんだろうけど。
そうか、そうだったんだなぁ…。
あの頃の自分に戻りたい、とは思わないけれど
あの頃のようなときめきは
もう私には来ないのかな…
何だこの倦怠期風味は(笑)
とりあえず明日は逢瀬だー!
…とはいえ引越しの手伝いだが…。
コメント